金持ちは、なぜ高いところに住むのか(2)

まだエレベータによる均質化が十分にされる前、地下室や屋根裏部屋は空気の淀んだ世間から隔絶された場所でありこれを象徴的に表現するのがシュピッツヴェーグ『貧しい詩人』である。 ルートビッヒ・ティーク『人生の余分なもの』も興味深い例だ。 p.100屋…

金持ちは、なぜ高いところに住むのか

原題は Die Geschichte des Fahrstuhls Uber einen beweiglichen Ort der Moderne英訳: The history of the elevator About a mobile place of modernityある意味この邦題は割り切った戦略なのだろうが、効果的かは不明。副題の「近代都市はエレベーターが…

アメリカンスナイパー

たいそう久しぶりに。 早速見た感想。 正しく西部劇なドラマティックな展開からの アンチクライマックスなところがえらい映画。 戦争にヒーローはいないんだよ的な。 ヒーローのいたすばらしいエンタメ映画である フューリーとは結構対照的かも。 そんな感じ…

ドラゴンタトゥーの女

感想かくよ あがるオープニング 事前には内容についてまったく知らずに雪が降っているとき見に行った。唐突にも思えるオープニングの映像がかっけえーテンションたけー 何も知らないのでここで攻殻っぽいあれもあるの、マトリックス的なとか期待しちゃう 主…

松井冬子展雑感

寒い最中行ってきた。 全体的にあまり好きではなかった。 あまりにも観念的過ぎる感じがした。題名や本人が書いたというキャプションもその印象に拍車をかけたのかもしれないけど。 ひとつの作品のうちに描かれているもの同士がよそよそしくも感じることも多…

見えないほどの遠くの空を

榎本憲男第一回監督作品。いろんな意味でこれはおれのことだという要素がたくさんあった。それもあって非常に乗れた。とりあえずメッセージ的なものについて今日は。基本的にストレートな思いが根っこにある映画だと感じたので。映画サークルの話で撮影のシ…

インセプション

今日も一周遅れの感想文。 ツーリストも戦わなくちゃダメ? サイトーは表面上の物語の動因だ。条件と報酬を提示する。仕事がうまくいくかどうか見届けるため夢潜入についてくる。 ツーリストなんてつれてけないよ。といわれるが特別待遇にしろなんて言ってつ…

告白

告白 2010 中島哲也なーんてね 修哉が二度ほど言ったセリフであるが 松もなーんてねをそれまでくりかえしてきてた 映画自体がなーんてねを繰り返してきた。 最後のなーんてねはママは死んで内でちゅよもあるけれどこの映画全体に対していっているようにも感…

john cage pour les oiseaux(6)

ダニエルシャルル あなたは先日の対談で、シュトックハウゼン流の連続体という概念に異議を唱えられましたね。確定的であると同時に日確定的であるような作品を否定なさった……。 ケージ そうです、ただし〈同時に〉ということが、作品の全体像に用いられ、し…

john cage pour les oiseaux(5)

フリージャズってそんなにフリーなのか、観念と音楽的関係の世界に閉じ込められているように思えるという。 たいていのジャズの局で私が耳にするのは、会話に似た即興です。一人の音楽家が他の音楽家に応える。だから各人は自分がやりたい演奏をする代わりに…

john cage pour les oiseaux(4)

昔ながらの水族館ではそれぞれの種類の魚が、上に名前を掲げられた小さな仕切りのなかに閉じ込められている。一方最近の水族館ではあらゆる種類の魚が一緒にいれられていて、一匹の魚が目の前を通り過ぎても、それを正しくはどんな名前で呼べばいいのか判断…

おにく

とりとめなく最近見た映画、テレビで。テレビで見る映画は映画じゃないわけじゃないよ。テレビで見る映画だよ。 プレシャス 俳優がいいです。映像的に手をかけているのが多そうだった。 構造的にはあんまりギミックが多いわけじゃない。ブラインドが下りた―…

john cage pour les oiseaux(3)

ケージ ラモンテ・ヤングが微分音の関係に払う非常な関心と、聴衆に要請する注意力は、実際、私が音楽を作る時の態度とはまるで違っています。私は感覚の注意を自由にしておくことを望んでいるのですが、彼の方は注意を集中させようとするわけです。 ― そこ…

john cage pour les oiseaux(2)

書物の氏は言語の終焉ではなく、言語は存在し続ける。私の作品には沈黙があふれてきたのに、やはり音楽があるのと全く同じようにね。精神分析といったものが遠ざけられて、ますます音楽があるようにさえなっているんです。沈黙のおかげで、騒音が結局私の音…

キチガイカワイイ カワイイキチガイ 

Kiiiiiiiと KATHYという人たちを知った。 「キチガイ」とはなから分類されてしまうと次第にカワイイに吸収され、 はじめカワイイあとキチガイのがナイスずらしになる まああくまで作戦としては

john cage pour les oiseaux(ジョンケージ 小鳥たちのために)

かつて音楽は、まず人々の―特に作曲家の頭の中に存在すると考えられていた。音楽を書けば、聴覚を通して知覚される以前にそれを聞くことができると考えられていたんです。私は反対に、音が発せられる以前にはなにも聞こえないと考えています。ソルフェージュ…

第九地区

今更第九地区 モックドキュメンタリであることの利点 ①ヴィカスが普通の人であるという分の興味薄れへの補完がしやすくなった ②差別する側の視点に引き込まれやすくなった というのはウタマルの指摘 またヴィカスエビ化に伴い視聴者は次第に差別される側へも…

フロベールリスペクト的ななに

セクシータレント:av女優がテレビに出る際の呼称 軟投派投手:対義語は本格派投手。ちょっと失礼な呼び名。 再建中:あきらめの境地、あるいは悟り? 類義語;土台作り 故意による無気力相撲:八百長のこと。むしろ八百長より直接的表現にも思えるが八百長…

映画は映画だ

ほんものとまねっこ 本気と演技 やくざと俳優 心からのことばとセリフ 黒と白 などなど対立項が初めのうちははっきりとした境界線をもって提示される。 そして俳優に代表される方の項は世間の評価は(表面的には)高いが傲慢で空虚でにやけている。 一方やく…

チェイサー

最近tvでしか映画を見てない。 役者がいい。とくにきれいじゃないおやじがいい。 ダークヒーロー、アンチヒーローだけが本当に敵を捕まえることができる ダークなヒーローといってもギリシャ的なヒーローはそもそも今の価値観から言えば清濁併せもつというや…

島国根性

日本は他国との境界を海によって作っている島国です。そう頻繁には他人がこない。領土があまりにも自明なものに思われてくる。外部はあまり意識されない。内部はもはや住民に癒着して離れない。 とはいえというかだからこそ到来者は必ずしも明示的に排斥され…

ヴィヨンの妻

実は太宰さんはろくに読んだことがない。 電子辞書に入ってたので読んだ。薄気味の悪い小説。気になったからメモ 主要な人物は大谷とその奥さん、椿屋の夫妻。 まずこの人たちは下の名前がない。大谷の妻はさっちゃんとされるが、それは後の方にお店での名前…

超密室劇、ちょっとまとめ

密室劇はサスペンスやホラーでよく見られます。というかそれらが必然的に要求します。 あ、じゃあこれで失礼しまーす、ちーっす。みたいに洋館とかラクーンシティから出てっちゃうと終わる。 密室の主要な属性の軸として気密性がある。そのサブカテゴリーと…

毛糸のカービィの元も子もなさ

毛糸のカービィという新作が出るらしい。だいぶまえから決まっていたっぽいけど New Kirby's Epic Yarnというのが英語圏での名称らしい。 この名前はなかなか気が利いている。yarnは第一義に紡いだ糸だ。そこから旅行の(信用できない)土産話、作り話という…

われら地上の子、正義について語る

再放送のハーバード白熱教室大体ぜんぶ見た。 マイケル・サンデルは本当に良い先生だ。それに授業のテーマ、正義についての結論が授業形式にもかなっている。この自己言及性、熱いです。教科書を棒読みしてるだけのそこの君、ちょっと反省したまえ。 かれは…

KR-13、密室ゲームはどこまで続くか

killing room見た。邦題は実験室KR-13 この類はやはりesというのがあり、もう一方にはcube,sawがある。心理面重視とギミック重視ないし内部重視と外部重視の極があるといえるかもしれない。 KRの注目するべき設定はまず主人公ライリーが一番内側にいない点だ…

コジコジは(字義通り)神

日常系、他方の極に冒険系と布置されるのがはやり。 だけど日常系といってもいろいろある。サザエ、まるこ、ぼのぼの、けいおんそしてコジコジなどなど。 それぞれ強みはありますが、コジコジはなんだろうか。 面白さの源泉はコジコジ=神が同じフィールドに…

じろうかミッキー、スヌーピーか

そういえば外部への流出口は固有名なんだな柄谷とかでドゥールーズ的には関係あるようでないような話。 やっぱりコジコジは面白い。アニメ第一話。コジコジは先生に遊んでばかりでいないでしっかり勉強して立派なメルヘンものになれと職員室で説教される。そ…

ゲームはいかに見えなくなるか

見えないゲーム、暗黙のゲームは開かれた領域で行われている。当たり前だが見えるゲーム、明示的ゲーム、狭義のゲームは限定領域で行われる。 またサッカーを例にして考えてみよう。始まりには何か転がるものを身体を使ってどこかに転がしていくようなものが…

暗黙のゲーム

ゲームはサッカーや花札、格げーのようなルールが明文化されたものだけではない。映画や小説、絵画などにおいてはそれに参与していることにおおむね自覚的であることが多いが、ゲームの形式ないしゲームであるということの自覚は少なくなりがちな媒体である…