映画は映画だ

ほんものとまねっこ
本気と演技
やくざと俳優
心からのことばとセリフ
黒と白
などなど対立項が初めのうちははっきりとした境界線をもって提示される。
そして俳優に代表される方の項は世間の評価は(表面的には)高いが傲慢で空虚でにやけている。
一方やくざの方は世間から忌み嫌われており、実際に手をけがして生きている。
とはいえそれは生活の必要にしたがっている故に強力なものである。
こう書くとやくざの方が優位に立ちそうであるが必ずしも常にそうであるわけではない。
順番に互いの危機が訪れる。次第に両方の項が融合していき、境界が揺らぐ。
象徴的なのはラストシーンの一歩手前、即ち映画内映画のラストシーン。がちの決闘シーン。
二人はそれぞれ白と黒をまとい続けてきた(スタさんはプライベートの時は白でない)
がここでもみくちゃになり泥?にまみれて判別が難しくなっていく。かろうじてセリフや髪の長さで分かるがふたりは汚い緑色をしている。
演技と本気の境はガンぺの言うとおりカメラがあるかないかでしか決められない。そしてカメラの有無も当事者の心によってかわる。カメラがあっても忘れる、気づかないことはあるし、なくてもあるかのように意識することもある。

ふたりのやりとりはもちろんだがとりまきとのやりとりもいい。
この映画も笑えるところは多かった。
ガンぺの子分がかあちゃんがというはなしをして〜いってこい〜映画を撮ろうぜ、ばしばしっというじゃれあい〜兄貴大変だー
という流れは見事に死亡フラグを回収しきっていて、笑ったいやないた。

ラストシーンは執拗な打撃、首なしの仏像贈呈からの血塗れ微笑

というのも映画でしたー

という自己言及をしての完璧な終わり。

正直この映画は完璧すぎた。カメラのアングルとかそういうものは自分はとんと知らないので分からないが構造的には何一つ傷がない。
かえってそのことが傷といえないこともない。完璧な工業製品という感じがややするかも。
ぶっ壊れたシーンはラストのイ・ガンぺの狂気といえるかもだがこれもそもそも映画だと直後に言及されるのだからぶっ壊れてはいない。
贅沢な要求であるがそんな破れも含んでいたら人生ベスト級になりかねないできだと思った。

イ・ガンペのソ・ジソプは私男だけどセクシーだと思ったわ。スタさんも初めのにやけっぷりからの変化はないすだった。
他の俳優もみんなよかった。

wowow韓国映画特集で少し思ったこと。
韓国映画のこのところのクオリティの高さは政府の政策の賜物とよく言われる。
これらの作品はすごく真っ当で分かり易い。これは政策がどんなものか今しらないがそのことに由来するのかなと思ったりする。
もっとも異端者は辺境から現われるであろうからそんなことは気にしなくてもいいだろうが。