john cage pour les oiseaux(5)

フリージャズってそんなにフリーなのか、観念と音楽的関係の世界に閉じ込められているように思えるという。

たいていのジャズの局で私が耳にするのは、会話に似た即興です。一人の音楽家が他の音楽家に応える。だから各人は自分がやりたい演奏をする代わりに、できるだけうまく他の演奏に応えるためにのみ、耳をそばだてて他人の演奏を聴くのです。またフリー・ジャズと呼ばれているものはおそらく時計とリズムの周期性から自由になろうとしているのでしょう。ベースはもはやメトロノームの役割を演じてはいない。でもその場合ですら、時間的なビートの感覚は依然として保たれています。ジャズは〈音楽〉の範疇に留まっているのです。

必ずしもそんなことはないんじゃないというダニエル・シャルルに対してケージは彼の音楽に感心していたというジャズグループとの出来事を語る

彼らは舞台の上にかたまり、さっき話したような具合に演奏しました。互いに聴き合い応え合いだしたのです。……私は彼らに……各人が独奏者のように、世界にたった一人でいるかのように演奏するよう言いました。……リハーサルではすべてが満足できる形で行われました。……ところが残念なことに聴衆を前にすると、聴衆のまわりを動きながら演奏しているのに、語り合い応答しあう習慣を取り戻してしまいました。すばやく自由になるということは、容易なことではありませんね。

失敗だったミュージサーカス、聴衆は作品を期待=予期してしまっていた。成功だったカンフィールド
そこからエレクトロニクス、ロックについて

―エレクトロにクスはロックンロールを保証する手段だとは思われませんか?
ケージ ロックについて話をするのならば、事情は違ってきますよ。エレクトロニクスはロックを全く変えてしまいました。ジャズはその伝統にしがみついていますが、ロックでは、電乙は音響の海の底に沈んでいるんです。すべてが入り混じっているというのは素晴らしい。そして演奏者は皆意見が一致しているように見える……彼らは生きている。ところがジャズでは演奏者は退屈しています。ジャズは線的な形態ですが、ロックは違うんです。
―しかしながら特にろっくでは、ビートの規則性から逃れられませんよ。
ケージ でもその規則性は、音が充分に増幅されるときえてしまう。ガラガラのように、目の前でリズムに合わせて振り動かされている対象物はもうありまえん。人は対象物の中におり、この対象物が流れであることに気づく……ロックでは尺度の変換があります。私たちは流れの中に投げだされている。ロックはすべてをひきずっていきます。pp.173-175

知らずに踊りだす。パッションの語源を知った時はみんな心震えたよね