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ハウルのダメなところ

ハウルをテレビで見たのだ。
ダメなとこは敵(障壁)が弱すぎるところ、これにすべて還元できる。
ソフィーがまず呪われるわけだ。ばあさんになる初めは少し戸惑うがその後はむしろ生き生きしだす。もちろんハウルのそばにいられるからというので理屈は通っている。だがそれじゃ見てるほうはそのままでいいんじゃんと思えてくる。またソフィーはべつにきれいな女の子ではないらしい。(らしいというのは宮崎アニメの女の子で醜い子はいないから。醜い老婆はいるが。といってもその老婆も醜くも魅力的に描かれる。若い女の子=かわいい、かわいくなければ女の子ではない、正しいのかもしれない。いや失礼。)まあソフィーが自己言及してるだけでほんとはきれいでいいのかもしれない。ハウルもそう言ってたしね。
冒頭おとなしそうに描かれていたソフィーはばばあと化すことによってずけずけ行動するようになる。ばばあ=図々しい。ああなんて真理。これまた失礼。
それでハウルの動く城に(簡単に)入り込むわけだが、物理的にならまだしも心理的にもきわめてたやすく馴染んでしまう。コミュ力ぱねぇ。
そいでハウルさんは一人で戦に行ってることが分かってくるんですね。ソフィは別に鳥さんでもいいんだけど戦わないで的な態度をとる。このへんで若ソフィに戻ったり戻らなかったりするのが出てくる。荒れ地の魔女にかけられた呪いであるからその魔力が弱ることで呪いの効果も薄れていく、またはハウルへの愛が発露してくるとそうなるというのはこれまた論理的な話だ。
だが演出としてはソフィがそんなにホイホイ若くなったりしてたら盛り上がりに欠けるのは当たり前だ。またソフィとハウルも互いが変身している状態で受け入れあっているのですでに解決しちゃってる。これは早々に荒れ地の魔女が弱体化させられたからだ。まあそれはいいとしよう。「荒地の魔女なぞわれら魔女の中でも最弱、名もなき魔女にすぎんのだ、このサリバンこそ最強。」っていうやつでしょ。わかった、わかった。
と思いきや手下は送り込むんだけどこいつらがたいしたことないんだな。
それならばとサリバンが直々にということもない。やっぱさ偉い人は前線にはでないよーんてこと?でもそれじゃあ映画は盛り上がりません。
まあそれでいろいろあったあと荒れ地の魔女が
「ヒヒヒヒ、名もなきものだとわたしのことを思っておるのだろう。しかしな、それはみなが恐れてなを呼ばんのじゃ」とばかりに最後の方でぼうそうする…
かに見えて割と簡単にソフィに譲歩する。あれじゃあやっぱりサリバンがっ。だがサリバンも諦めがいいという。

邪悪な敵いなすぎ、人生楽勝杉、呪いも何となくとける。
じゃあずっと老化したままで最後にチューしてとけるというのが嫌ならば老婆と鳥のまま愛し合うとかじゃダメ?あのかぶにそれをもってたのが外しのつもりだったのか。それにしたら外しのための外過ぎやしないか。

と文句は言ったがおそらくはやお氏はそんなことどうでもいいのだろう。
話の筋とかには最近興味がないんだろう。というか体力がないのかもしれないけど。すげーだろでっかい城がガチャがちゃ動くんだあ―。ほら、ガシャンがシャン。あでもさ、でもさこれちょっと壊しちゃおーかなー、もったいないけどさ、あ、がんがんがちゃーん。
宇多丸氏がラジオで言ってた説ね。たぶんあってる。たくさんのものがワシャーと空に上がっていく、にゅるにゅると中に入り込んでくるとかこういうイメージは前から出てくるけど近頃はそれに意識的かはわからないが特化し来てる。まあでもハウルはそういう点でもちょっと微妙かもしれない。ぽーにょぽーにょぽにょってことだねっ

あとあの犬が押井のいぬに見えてしょうがなかった。